先史時代に起源をもつと思われるカプリオーロ城が聳える地域は、間違いなくローマ人たちにも既知の場所でした。ラテン語名の「カプレオルス(capreolus)」が初めて資料に登場したのは879年の文書でした。
戦略的な位置にあることから、9世紀から10世紀にかけて血なまぐさい争いの舞台となりました。最初に起こったのは、封建領主間による水資源の取り合いの争いで、ベルガモ市民とブレーシャ市民が対立し、ムッツィーガ、パラッツォーロ・スッローリオ、パラティコ、ヴェンザーゴの町もこの闘争に巻き込まれました。16世紀にカプリオーロ城は仏西戦争の影響を受け、1610年にジョヴァンニ・ダ・レッツェが残した記録によると、「城壁もろとも無残に破壊された古い城塞」となっていたということです。